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12ステップ 第2講

御言葉:創世記1:1−25



神様、この世を創造される。


「初めに、神が天と地を創造した。」(1)


 人は誰でも人生の中で一度は、この広大な宇宙や自己の起源について思いを馳せることがあるでしょう。 多くの科学者達はこの 問題を解くために一生涯を捧げました。宇宙の起源について数多くの神話が作られました。ギリシャと ローマの神話によると、この世は神々のいたずらによってできたと言います。また、 自然発生説、爆発説のような理論がつくられました。でも、この世が始まる前のことは決して科学的な理論で知ることはできないでしょう。物理学の研究対象にはなり得ないでしょう。なぜなら、この世の法則は、所詮この世の法則だからです。この世が始まる以前には通用しないものだからです。 この世を超えたものを、この世に住んでいる私達の力で理解し支配しようとするのは、土台無理な話です。
 聖書は最初に天地万物の創造主である神の存在を宣布します。そして、創造者の存在を証明しようとしま せん。なぜなら、創造者の存在は証明の対象となる此の世の事象を超えているからです。 私達は創造主を証明できませが、創造主の御性質を知ることはできます。聖書の言葉と、 ただ目の前に存在する世界に、その世界の始まりであった主の御業を見ることができるのです。

T.天地創造(1−25)


 第一日目、「初めに、神が天と地を創造した。」この御言葉は神の主権の宣布です。 天地が創造されました。 一説によると、天(the heavens)は空間(space)、地は物質(matter)、“初め”は時間(time)の創造を意味します。 万物の根本要素である物質、空間、時間は全能の神によって創造されたというのです。 また、ここでの創造という言葉はヘブル語で「無から有を創造する」という意味 の「バラ」(to create)です。「ある材料を持って作り出す」という「アーサ」(to make)とは本質において異なるのです。 この「バラ」という言葉は聖書の示す神にのみ使われます。このように、聖書には、天地万物を創造した唯一の神の実在が示されています。 この世は、神の目的の実現のために造られたというのです。

 ですが唯一の神の存在を否定しようとする人は言います。『私たちは多くの神が存在することを知っている。それは、あなたの神もあり、私の神もあるという、それぞれの多様な価値観を受け入れる懐の広さなのだ。』と…。 しかし、私は、むしろ唯一の神に本当に信頼を置いているならば、他の価値観に対しても寛容になることができるのではないかと考えます。

 例えば、あなたが誰か一人の愛する人と結婚するとします。それはあなたにとって、ただ一人の結婚相手であるべきです。では別の人が、他の誰かと結婚したら、その人は間違った相手と結婚をしたことになるでしょうか?そうではないはずです。むしろ、自分の結婚が祝福されたものであるならば、他の人の結婚をも祝福することができるのではないでしょうか?

 でも、ここで大切なのは、その神が、本当に自分の真心と愛を捧げるのにふさわしいものなのかを、正しく見極めなければならないということです。自分の愛を本当に受け止めてくれるものなのかを見極めなければならないということです。『鰯の頭も信心から。』などと言いますが、鰯の頭をいくら愛しても虚しいものではないでしょうか?あなたが信じているものが『鰯の頭』ではないかどうかを、しっかりと見極めなければなりません。『私は神なんて信じていない。』という人も、何かに依存しているかもしれません。ある人はパチンコに依存しています。ある人はお酒に依存しています。ある人はお金に依存します。ある人は会社に依存し、会社を生きがいとしています。ある人は、周りの人々に認められることを生きがいとしています。また、神を信じている人も、自分の御利益のため、気休めに神を祭り上げていたりします。普段は神のことなど考えもしないのに、受験や就職など、自分に必要なときにだけ御利益を祈ってみたりするのです。

 しかし、よく考えてみる必要があります。この世は、いつかは崩れ去る有限の世界です。その時、この世のご利益も気晴らしも意味をなしません。神が私たちに与えて下さる本当の希望は、崩れ去るものではないのです。本当の希望とは、たとえこの世が滅びても永遠に続くものです。この世がはじめにあったのではなく、神がはじめにあったのです。 1節の「初めに、神が天と地を創造した。」という事実を土台として、聖書のあらゆる御言葉は成り立っています。

 初めに創造された地の状態はどうでしたか。2節をご覧下さい。「地は形がなく、何もなかった。やみ が大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。」形がなかったのです。 混沌として何ひとつ定かなものはありませんでした。無秩序だけが広がっていました。 そして神の霊は水の上を動いていました。「動いていた」(hovering)とは抱く、または、振動する、振るえる という意味を持っています。神の霊は、まるで鶏が卵を抱いて振るえながらひよこを孵化させるように 創造のみわざを成しておられました。

 3節からは天と地の創造が始まります。神様が最初に創造されたものは何ですか。三節をご覧下さい。 「そのとき、神が『光よ。あれ。』と仰せられた。すると光ができた。」神様は最初に光を創造されまし た。この光は四日目に創造された光とは異なり、あらゆる生命体に供給される エネルギーの根源を意味します。それは何もない所にいのちを吹き込む力です。

 第二日には、大空を造られました。大空はヘブル語で「ライカ」と言って、拡張を意味しています。 それは、空間、空気、あるいは大気を意味します。大空にはすべての生命体が息をするために必要な空気が あります。また、太陽からの殺人光線を遮り、適当な温度を維持することによってすべての生命体を 保護してくれます。ですから、この大空がなければ、地球上に生命体は存在できません。

 第三日には、地と海を分けられました。そして地の上には、植物、種を生じる草、種類にしたがって、 その中に種のある実を結ぶ果樹を造られました(9‐13)。

 第四日には、太陽と月、そして星を造られました(14−19)。

 第五日には、水に生き物の群れと空に鳥を造られました(20−23)。

 第六日には、その種類にしたがって、家畜と野の獣、地のすべてのはうものを造られました。

 神様が万物を創造されることによって、この世は何もなく混沌していた状態から秩序ある世界に、 闇の世界から光の世界に変わりました。 神様が六日間にわたって創造されたものには計画と調和があります。 第一に、無機物から有機物へ、無生物から生物へ、植物から動物へ、下等動物から高等動物へと 順に造られました。第二に、初めに、あらゆる生物が生きる環境を造って、次にそこに主人公を造られ ました。このように、万物の相互関係はいのちの関係で結ばれています。 神様は完全で緻密な計画と設計の上でこの世を美しく調和あるものとして創造されました。


U.天地創造の目的


 神様がお造りになったものをご覧になった感想はどうでしたか。4,10,12,18,21,25節にその感想が示され ています。4節には「神はその光をよしと見られた。」と感想を言われました。また、10節には「神は見て、 それをよしとされた。」とも書いてあります。神様は造られた物をご覧になった時ごとに「よしと見られ た」「それをよしとされた」と証しされました。これは、宇宙が神様の善の計画の中で限りなく美しいも のとして造られたこと言ってくれます。神様がおられるこの世は素晴らしく生きるに値する価値あるとこ ろです。聖書は証ししています。「神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物 は何一つありません。」(テモテヘの手紙第一4:4)。 神様がお造りになったものは初めから完全で美しいものであり、それ以上、造りなおす必要がありません。それで神様はみなよしとされました。 そして、この神様の感想は、被造物の存在意味と目的を示しています。 人が何かを作るにしても、そこには目的があります。 椅子は人が座るためにあります。 同じように、神様も被造物に目的を置かれていました。 詩篇19:1は次のように言います。「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。」そうです。天地万物は創造 主である神様から始まり、神様へ向かう、神様の栄光を現わすものなのです。  

 それでは初めに、天と地を創造された神様はどんな方でしょうか。

 第一に、唯一の自存者です。人々はこう言います。「さあ、神様が天と地を創造されたなら、 神様は誰が造ったの。」しかし、神様は誰かが必要として造ったのではありません。もし、誰かが造ったも のなら、それは偶像です。神様はあらゆる被造物に先立って存在されました。創世記1:1−2:3節 において、神様は、ヘブル語でエローヒームと表されています。これは天と地を創造された神は全能者と いう意味です。この神様は永遠の過去から自らおられる方です(出3:14)。この神様は常におられる方、 昔からおられる方、後に来られる方です(黙1:8)。この神様が天と地を創造されたのです。

 第二に、全能の創造者です。1章には「神は、…仰せられた。」(God said)という言葉は十回も出ています。 神様が仰せられた時、どんなこと が起こりましたか。「光よ。あれ。」と仰せられると、真っ暗の世界を照らす光ができました。「鳥は地 の上、天の大空を飛べ。」と仰せられると、各種の鳥が大空を飛びました。神様が仰せられて実現し なかったものは何一つありません。このように神様の御言葉は現実を変化させます。 今日も神様を信じる人々はその力を体験します。この世の中で誰が人を罪から救う力を持っているでしょうか。どんな思想や哲学、そして科学の力をもってしても、人を根本的に新しく生まれさせることはできません。しかし、神様の 御言葉は罪人を救います。韓国で有名な金ジンホン牧師が社会運動のために投獄されていた時、刑務所の同じ部屋に 人殺しを計画している人がいました。彼は自分が出所した時、自分を刑務所に 入れた人を殺すことを毎日のように考えていたのです。同じ部屋にいた牧師は聖書を教えました。 心を込めて教えました。すると、彼は生まれ変わったのです。金牧師が刑務所から出る時、 刑務所の所長が金牧師に言いました。「金先生はすばらしい ことをなさいましたね。私達が法律でも、刑務所でも変えることができなかった人を あなたは変えたのだから。」そうです。世の力では変わることのなかった人が、 神様の御言葉によって根本的に変えられます。神様の御言葉は無から有を創造 します。そこに不可能はありません。

 第三に、秩序と調和の神様です。神様が創造のみわざを始める時には形もなく、何もなかった地は神様 の創造によって段々秩序が立てられました。神様の御言葉に従い、水は一所に集まり、かわいた所が現わ れました。空には鳥が飛んで、地には獣が遊び、海には魚が泳ぐようになりました。神様は広大な宇宙には 太陽と月、数え切れない星を造られ、それらは秩序正しく動き始めました。地球は毎時間1,600キロメート ルの速度で自転しています。また、毎秒26.7キロメートルの速度で太陽の回りを空転しています。ミサイル や新幹線よりも速い速度で、創造以来一度も交通事故なく回っています。神様がお造りになったすべて の被造物には秩序があります。その秩序を守る時、人は幸せになります。もし、その秩序を破るといのち を失います。人が創造主である神の上に立ったり、治める動物や自然を拝んだりすること はその秩序の破壊を意味します。
 また、美しい調和の神様です。第三日に、お造りになった野菜や果 物だけでも数多くあります。蝶だけでも15,000種類、蟻は五千種類、植物は23 万種類、動物は100万種類があるそうです。さらに、同じ種類の中にも各々の大きさ、姿、色、香り などユニークな個性があります。52億の人類の中で同じ人は一人もいません。双子もよく似ていますが、 よく見ると違うところがたくさんあります。神様はこのように種類に従っ て、美しいハーモニーのある世界を創造されました。ダビデはこの神様を賛美しまし た。「私達の主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。あなたは威光を天に 置かれました。」(詩篇8:1)。神様は最高の芸術家です。

 以上のように、初めに、神様は天と地を創造されました。聖書は言います。「あなたの若い日に、 あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく 前に。」(伝道者の書12:1)。私達が天地万物を創造された神様を知り、この神様を信じる時、私達の 人生に崩れることのない基盤が築かれ、全てが秩序の中に置かれます。この神様を信じる時、平安と喜びと愛に 満ちた人生を送ることができるのです。もしも、あなたが神様を知らないとしても、神様はあなたの全てを知ってくださっています。何もかもご存知でありながら、あなたを愛して下さる神様のところに、あなたも出て行きませんか。