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Q.十字軍とか魔女裁判をやっちゃうような宗教なんて?

 十字軍魔女狩りはキリスト教圏から始まった悲劇です。そんな不幸な歴史を導いたキリスト教なんて信用できません。

A.そうかも…。神様の愛だけがありますように

 此の世は有限。人間も有限。他人のことを100%理解できる人なんていない。自分のことでも解決せずに悩む問題がたくさんあるのに…。 もし、人が他の人の人生を、自分のことのように感じられる能力を持っていたら、もし、そんなことができるなら、戦争なんて起こらないよ。 相手の痛みが分かっちゃったら、痛みが心から分かっちゃったら、誰かを傷つけるなんてできない。 でも、現実は、どうだろう。 神様、わたしの暗闇を照らしてください…。 問題は人と自分の違いなのかな。そんなことないよね。
 自分のいる場所しか見えないこと。相手を否定してしまったこと。自分の立っている場所にたっていない人を否定してしまうこと。 それは、聖書の言う『人間の罪』。罪とは、真理から離れた自分中心の生き方。 みんな、自分が大切。自分を大切にするのは当たり前。 でも、そのために、周りの人を否定するようになっちゃたら悲しい気がする。 不安だから周りが気になるんだろうね。誰かに認めてもらいたくなっちゃう。不安だから、誰かと比べて自分のほうが凄いんだぞって叫びたくなっちゃう。 罪から自由になろうとして信じたはずなのに、「正しいのは自分だけ。他の人は間違ってる。」って、みんながお互いを非難するようになったら悲しい。

人の苦しみを自分の苦しみに感じられず。
人の悲しみを自分のことのように悲しめず。
他人事としか思えず。
…自分ってこわい。
でも、イエス様は、人の苦しみを自分の苦しみとして身に負った。
私の心の暗闇に入って行って。
神様にとりなしの祈りを捧げてくれた。

 自分が本当に愛されて生きていることに気が付くとき、人は自分で自分を救おうとして陥ってしまう 自分中心の人生から自由になれるんだって。必要なのは、ただ、本当の愛に気づくことだけなんだって。 その本当の愛は、人を救うために十字架上で自分を捨てた程の愛なんだって…。 きっと、本当の愛に、自分の心を捧げきっている人は、誰かを否定してしまったりしないんだろうね。 他のところにいる人を否定してしまう人ほど、本当に、自分の信じているものが本物かどうか不安なんじゃないの? 不安だから、主張して、周りの人にも認めてもらいたいんじゃないの? 私も含めてね…。 きっと、本当に信じている人は、主張しない。 マザーテレサみたいに、仕える人の信じるものを尊重して、死を見取るときまで尊重する人もいる。