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Q.なぜ神様を信じるの?

 神様って自分と関係あるの?見えないし、何だか漠然としている神様っていうものを信じるって、一体どう言うことですか?それに、信じたら、客観的な判断ができなくなって道を踏み外すんじゃないですか?

A.この世に生きているからです

 あなたにとって大切なものは何ですか?それは、あなたの人生に目的を与えるものですか?あなたが生きる理由になるものですか?あなたを確かな目的地へと導くものですか?私は次のことを信じています。・・・人生には目的がある。それは、いつかはかなく終わってしまうような種類の目的ではない。人は、ただ、やがて来る死へ向かって生きている存在ではないということ。・・・『何でそんなことを信じるの?』と誰かが聞くかも知れません。それは、生きているからです。あなたはどうですか?『あなたの人生、無意味だよ』という言葉を信じて生きて行きますか。それとも『あなたの人生には意味がある』という言葉を信じて生きて行きますか。これは、客観的に答えの出せない問題です。ですが、どちらかを選ぶ必要があります。『今が楽しければ、それでいいさ。』あるいは『そんなことを考えても時間の無駄。』そんな言葉も聞こえてきます…。
 多くの人々は忘れ去ります。本当に大切な問いは忘れ去って生きて行きます。あらゆるものが偶然に支配されているようで、目的など見出せなくなってしまうような世の中。そんな流れの中に身を置き、本当の自分の居場所を忘れて生きて行くのです。ある人は言いました。『私は自分を信じています。自分を高めていきたいと思います。』これは立派なことのようです。でも、実際は、私達が「本当の私」と思い込んでいる自分は、私達が生きてきた環境の中で形作られたパーソナリティ(人格)のことです。パーソナリティと言う言葉はペルソナ(仮面)を語源とするそうです。仮面を付替えるように環境によってコロコロ変わってしまうものだからです。特に、移り変わりの激しい現代社会では、多くの若者が、自分を見失ってしまったり、不安定な自分を傷つけられることを恐れて演技的に生き、周りのことに深くかかわらなくなってしまっているという状況があります。私達の人生にはいつか終りが来ます。あるいは、今まで確かだと信じてきたものが破綻する時が来ます。自分が消え去る時が来ます。これは脅しではありません。確かにその時は来ます。そのとき人は『この人生は何だったんだ。』という問いに改めて直面します。そのときへの備えが出来ていますか?
 人生は、よく旅に例えられます。あなたが、この旅を続けているのは、偶然なのでしょうか?聖書は言います。この旅は偶然ではないと…。大切な出会いのために、永遠の出会いのために旅を続けているんだと…。あなたは、この世をさ迷い歩くさすらい人ではないのだと…。出会いは大切なものです。人の人生の行き先は、その人が何に出会うかによって決まると言っても言い過ぎではないと思います。誰と共に歩むかによって人生の歩みは決まります。まるで船が磁石の指し示す道へと進んでゆくように…。確かな出会い、永遠の出会い、この世を超えた出会い…その答えを聖書は用意しています。神との出会いとは、こういうことです。それはこの世の宗教を信じるというような話とは別次元のものなのです。

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―――主の御告げ。―――それは わざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(エレミヤ29:11)

 生きている間にやりたいこと、やらなければいけないことは色々あると思います。しかし、そんな中でも、確かな目標がなければさ迷うばかりで、どこにもたどりつけません。例えば、家の完成を思い描きながら釘を打ったり木を切ったりすれば、途中に苦労があったり難しいこともあるかもしれませんが、少なくとも家は完成に向かいます。でも何も考えずに釘を打ったり木を切ったりしても何も出来上がらないし、何よりも、やっている人自身、いつか虚しくなってしまうでしょう。人生も同じようなものです。人生の終わり、世の終わりにあるのは滅びではないと聖書は教えています。あなたに確かな計画を用意しているという方、その方を信頼しつつ人生を歩むことを考えてみてはいかがですか?